後の祭り

私の歩く軌跡は小さな輪を描いていた。
一つの輪を3回ほど辿った後、別の輪を作り始める。
鎖状になるとまた「家」=階段に戻っていった。

時計の針は夜の10時を回っていた。
数時間前まで賑わっていた夜店街は、既に閑散としていた。
反対側を臨むは、深川神社。
そして私たちの立っているのは、境内に続く階段。

東京湾花火の音が大音量で聞こえる。
しかし新宿からメトロで数駅の門前仲町ではさすがに光は見えない。
足元には紙コップと焼酎、各種ジュースとサイダー、そしておつまみの唐揚げがある。
夜風がノンスリーブから出た腕を包み込み、熱い頬に口づけした。
頭がイッていた。

そう、今日は深川祭りだった。
太鼓の音も人のざわめきも、まだ耳から離れない。
いまだ、人のいた匂いがする。
私たちは深川神社の境内に続く階段に座って、飲んでいた。
そう。飲んでいたんだ。
わたしは常々こういう不良っぽいこと、いや若造らしいことに憧れており、今回初めてこういったことをするに際して、非常に胸が躍った。

始めはもう一人がりんごジュース割りを作ってくれた。
しかし次に大きな失敗をやらかしてしまった。
自分で作るとき、3:1という数字をジュースに対する割合でなく焼酎に対する割合にしてしまったのだ!!
三ツ矢サイダーで割る場合比較的焼酎の味が強いらしい。
だから、こんなものか、と思って飲んでいたのだけれど、何だかおかしい。
異変に気付いた時にはもう手遅れだった。
普段酒に強い(睡眠不足のときを除く)私が、
こんなに泥酔するとは!
そして冒頭に記したような状態になってしまったのである。

まともな会話も不可能となった。
終電も終わってしまっていたため、渋谷の漫喫で一泊することになった。
頭痛と闘いながら時が経つのを待った。
シャワーやマッサージ室はおろか、PCや漫画といった給付物に対しても殆ど手を付けなかった。
仕切り越しにたくさんの人がこの天井を見上げているのかと思うと、何ともいえない一体感に、合宿の夜を覚えた。
暗い漫喫の中ではいつ夜が明けたのかさっぱり分からない。
とりあえず6時になり店を出た。

そこには、静かな渋谷があった。
朝の白い光に照らされた道は、印象派の絵にしたら美しいだろう。
街に人がいない光景は超現実派の絵のよう。

朝帰りは人生初の経験だった。
今日はいろいろ初体験の多い日だ。
電車で爆睡していたにも関わらず、降車駅で急に目がさめたのに自分で驚き、半分覚醒した頭で駅を歩く。
午前8時だというのに人がたくさんいた。
親子連れが多い。
あぁ、今日は海日和だ。
彼らの色とりどりのシャツやワンピースが目に鮮やかだった。

私は家に向かった。
この時間に起きていると、こんなに美しい風景が見られるのだ。
蝉の声を聞きながら、私は再び眠りに就いた。

darkな話

人身事故がある度、自殺は日常にあるものと感じられる。
しかし、死を身近に感じるといっても、
名前も顔も知らない人に思いを馳せることはできない。

私と同じくらい無名な誰かが。
そんなことを。
人身事故現場に遭遇したことはない。
だから、どれ程グロテスクなものなのか、想像する。
それから目の前にその光景がフラッシュバックするんだ。過去が現在、そして未来にも、再現される恐怖。
そんな苦痛はできれば避けて通りたい。PTSDも、トラウマも。


昨日は人身事故があったらしい。

その女性は死ぬことによってわたしに認識された。
彼女が電車到着時刻発車時刻をかき乱し、
彼女以外の者は必死に混乱を鎮める、ひたに日常を取り戻す。

日常は大きなうねりを見せた。
電車のシステムによって、顔の見えないマスと自分が対峙する。
それ以上の快感は無いだろう。
飛び降り、服毒、ガスで自殺した記事が新聞に載る。しかしそれはそれだけのもの。
電車飛び込みは、多分、生きた中で最大数の人間に、直接関わることができる。
しかも自分では何の用意もいらないから、楽。

彼女にとってのビッグ・イベントには、当然リスクだってある。

ご存知のように遺族が支払わなければいけない損害賠償金は莫大で、最もお金のかかる自殺方の1つである。
もう一点、先にも挙げたこの「大衆とぶつかる死に方」は、被衝突物である我々の精神的ダメージがより大きい。


死は、それに伴う痛みと同様に、日常世界から影を潜めつつある。
しかし機会が少なくて免役が無いどころか、私たちむしろは訃報に慣らされているとも考えられる。
なぜなら、それは数字だからだ。


ここに殺人の例を挙げる。
マスコミにおいて、被害者とは善良な市民の一点張りであり、その個々人の状況や過去は無視される。ワイドショーは犯人の背景ばかりを取り上げる(ある本に詳しい→※1)。

これは、事件が起こると犯人を1人に絞りたがるという大衆報道の傾向と合致しているように思われる。責任をどこまで追及すれば良いのかは確かに複雑な問題だが、必ずしも少数に絞り込む必要は無い、悪役でも悪の組織でもない何かが、そのまま進行した結果問題が発生してしまった。大方それらの連係がうまく取れていなかったからである。だから、ステレオタイプに「加害者」「被害者」というレッテルを貼るのに始終するのではなく、「問題が発生する前に組織の問題に気付く。」という姿勢を以て滞りの無い社会にしていきたいと思う。

事故が発生して、初めて気付かれた―
今回人身事故を「一般人がふと遭遇した死」として捉えた。
死が疎遠化されると同時に数値化されることにより、例えば人身事故は私たちの感覚が日常と非日常を行き来するというアンチテーゼを生んだ。
またマスコミの問題点として、勧善懲悪の名のもとに事件にそのような物語性をもたせ不必要に犯人を限定するという風潮があることに触れた。これは死の通時性と共時性に関係していて、他人の死が残された人々に与える精神的ダメージは、種類や深さはまちまちであるにしろ、「不自然な」死が、「不必要に」周囲に注意を喚起させ、
今は亡き本人から、全ての問題を出発させ、
今は亡き本人に、全ての問題を帰結させようとすることと同じである。
彼女を起点にし、身近な人だけのネットワークをみるよりは、例えば環境要因に着目しても良いだろう。駅のホームから落ちないように、ホーム側にも壁及びドアを設置すれば、また、踏み切りに駅員を配置すれば、行為を物理的に防げるかもしれない。
また私たち人に着目すれば、自殺者を増やしてしまった要因を考えそれを変えていく方向に向かわねばなるまい。

それにしても不自然な死は、本人が希望したにしろしないにしろ、最期を待つ時間と他者との対話が不十分なままで終了してしまうのだから、周囲に、中途半端な、いや〜な感じが残るであろう。
その辺は当事者も多少は想像つくと思うのだが、今日もどこかで決心をした人がいるのかと思うと、重い気分になる。

人生で挫折して耐え切れなくなったとき、
悲しいことがあったとき、
暇で退屈で何も楽しいことが無いように思えたとき、
そんな時に、命を絶つことまで思い至ってしまうのかもしれない。

※1村上春樹の『アンダーグラウンド』は地下鉄サリン事件の報道にまつわる話で、「リアルな」報道が試みられている。

彼女と私


ぼんやりあいた、虚ろな眼。

黒くてぬれていた。


まだ生のぬくもりを感じた、

私が、包むように触れると。



私はシャベルで土を掘りはじめた。

土は、ばらっと崩れ落ちては、底に溜まる・・

或る程度の深さに到達するまで、思ったより労力がかかった。

この、小さな体を、埋めるだけにひつような深さ。


彼女を、一本の痩せた木の前に埋めた。





私は、だいぶ弱っていた彼女を看ていた。



その繊細そうな体躯の、
先から先まで、

刺激を与えないように、

まず指先で触れ、

それから手のひら全体で、撫でた。


全身から伝わる規則正しい鼓動、

その合間に、細かな震えを感じた。

近づく「おわり」に対する恐怖なのか。



ふと鼓動が止まった。



その瞬間、それまで固く閉ざされていた眼が、

ぼんやりあいた。


固い意志で、眼を閉じていたんだね。
痛くて、苦しかったから、目を閉じていたんだね。


死んだ瞬間、それらから解放された。





聞けなかった。

見つめあって、感じることもできなかった。

その目で何を見てきたんだろう。



彼女が見てきた世界を、私は知らない。

私が見てきた世界を、彼女は知らない。



誰にも知られなかった。



彼女には流せなかった、涙を、私が流した。


死の瞬間、誰よりも、
彼女を
愛していた。


しかし、
彼女の「幸せ」は、

残されたこの私しか
感じることができなかった。



2006年6月29日午後6時2分 享年?歳 雀、死亡